| 全194件の内、新着の記事から30件ずつ表示します。 | 1 2 3 4 5 6 7 | 《前のページ | 次のページ》 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 以上は、新着順1番目から30番目までの記事です。 | 1
2
3
4
5
6
7
| 《前のページ | 次のページ》 |
明治維新の失策の数々
投稿者:愛国主義者 投稿日:2012年 4月 7日(土)17時56分38秒やはりその過程、近代化の進め方には問題があったでしょう。
徳川家康はやはり老獪である。関ヶ原、大阪の陣後、大阪方に
付いた所謂外様大名、豊臣恩顧の大名等、残党がりを行うと同時に
国外へ追放し、家光の代で完全な鎖国体制へ入った。
万が一の反乱の目を摘むためである。
徳川に対する恨みをそらすために様々な手法を用い、
国家安寧こそが諸大名の心がけと教え込んだわけである。
薩摩と長州を家康の代で潰せなかったのは260年目の失態でもあろうが
これは徳川家に取って残念であって、日本国家全体そして薩長自身
にとり有益であったであろう。
薩摩と長州は所詮は田舎侍。政権交代と息巻いたはいいが、ありとあらゆる
点で不備を露呈した、明治維新後早速内部対立で西郷隆盛が西南の役を
起こし、あやうく明治の治世が崩壊する危機があった。仲間内のいがみ合いとは
なんの笑い話か。会津と島津において遺恨が残り、今日まで続いているのは
明治政府の考えの至らぬ証拠。遺恨を残し、さらに増やすという愚を侵している。
もともと別の宗教であった神道と仏教を一つにしてきたのが日本であるが、
その理由はお互いに争い合いをさせないためである。
廃仏毀釈が『仏教弾圧』の呈を要するようになったのは、どちらかというと
仏教界自身の腐敗体制もあるのだろう。身近なところだと葬式代と、戒名の値段、
そしてお墓の問題。坊主丸儲けとはまさに仏教に対する批判である。
ただこれも、何が何でもしなければいけないことだったのか?
安易な改革をしたことにより、日本人同士がいがみ合う事態を作り上げてしまった。
稚拙極まりない政策が目に付く。明治政府はもう少し頭を使えなかったか?
明治政府は徳川の全てを否定してしまった
だてや道楽で、260年の泰平を治めていたわけではないのだ。謙虚に先人の
功績に学ぶことを忘れてしまったのだ。
当時の『保守層』は王政復古したのだから古き良き日本が戻る。
そう思っただろうが、明治政府のしたことは西洋かぶれの鹿鳴館!
その時代に生きればやむを得ないのだろうが、やはり明治から
日本人が日本人らしさを失ったのではないか?
そして無責任な国民に主権を与えるというのも、政治体制が不安定化する
決定的な原因となる。現在独裁国家風情の支那如きに右往左往している
体たらくは一体どうしたことだろうか。